大龍寺縁起

 絢爛豪華な安土桃山時代、豊臣秀頼の誕生した文禄二年(一五九三年)、京の都と奈良の都、ふたつの都を結ぶ要衝である木津川の地に、嶽譽光春大徳は浄土宗総本山知恩院の末寺として、高橋山大龍寺を開山したと寺史に伝えられております。

 文禄年間以前は現在地より東北一〇〇mのところ、今の木津小学校の所にあったと寺史には記録されていますが、現在地へと移転された年号については定かではありません

 その移転作業は一片の草庵を結ぶような簡単なものではありませんでした。

 文化八年に起工された現在の本堂は三年後の文化十一年に上棟されましたが、そこから本堂の供養式が行われたのがさらに十一年後の文政八年であることに鑑みると、大龍寺建立は当時の人々にとって、様々な困難と砕身を要する大事業でであったことがうかがえます。

 大龍寺がなぜ「大龍」寺と命名されたのかは明らかではありません。

 現在のように治水対策が万全ではない時代に、台風などで増水した木津川の奔流を見て、その奔流に畏怖を感じ、「大龍」を見たのかもしれないと、木津川の堤防を散策しながら想像してみるしかないのが現状です。

 また、大龍寺と「川」は切っても切れないご縁かもしれません。
 ご存知のように藤原京の時代から都に木を運ぶ要路であった木津川を北に臨み、すぐそばには井関川。かつての小寺村は木津町と名を変え、現在は木津川市となっています。
 
 四季折々の表情を魅せるここ木津川の地で長い歴史を刻む大龍寺には齢三百年を超える梵鐘がございます。

 廃仏毀釈の法難を乗り越え、戦時中の金属類回収令により、官民所有の金属類は、装身具、鍋・釜から門扉、銅像、梵鐘などあらゆるものが根こそぎ回収されましたが、篤信の皆様方の手により大龍寺の梵鐘は守り抜かれました。

 大龍寺の鐘の音は先人の皆様方の想いの音色であり、音の揺れる空の震えは四百年の信心の賜物であり、その全ては阿弥陀様への帰依の心の産物に違いはありません。

 移ろいゆく無常の時は今を生きる我々をも過去の歴史に変えてしまいます。

そんな時の流れを大龍寺の梵鐘に感じ、その音色に耳を傾けながら、そっと静かに手を合わせ、御本尊様を仰ぎ見て、

「南無阿弥陀仏」とひとことお唱え下されば幸いです。